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整体習得への道<自伝>⑦

更新日:2022年12月8日


輝く旅行バック

 

大学を辞めたら、荷造りをして帰るだけ。


レンタカーを借りて、引越しをした。


末松(友人)に手伝ってもらい、共に泣いた。


大阪から広島までも、一緒について来てくれて。


 実家に荷物を持って帰った際、母から「あんたは辞めると思ってた(笑)。せめて、荷物運ぶ日ぐらいおしえんさい。」この時、言っていなかったことに気づく🙇‍♂️


引越しの終わった大阪の家は、簡単な布団のみ。


単車に乗っていたので、最終日は、単車で帰る。布団は捨てる。


 大阪のみんなに感謝している。長渕剛「乾杯」を歌ってくれて有り難う。



11月1日から、整体師見習いとして、師匠である親父の鞄持ちをはじめた。


佐竹家は縦社会である。


仕事中は、絵に描いたような子弟関係。


今時珍しいだろう。週1日の休みの日は、経理の勉強。


日々やる事が明確だった。


この時の自分の目標は、1人でも生きていく力を自分につけることだった。


大阪の友人たちの抜けた心の大きな穴を感じながら前進した。


音楽は、ケツメイシの「過去現在未来」。


 さて、整体の方だが、実際に仕事レベルとして本気に取り組むと、猛烈に難しい。


痛みが取れると地元で評判のアーバン整体。


いきなりの私が出来るレベルではない。


最初は、見学やメモ取り、自宅での練習等が数ヶ月続く。


師匠が仕事中は、横で立って見学。


座ることはない。


 痛みを取ることに特化した整体院。


いきなりすごいレベルだった。


痛みが取れないといけないのだ。


ある程度になると、患者さんを押す機会を与られる。


当然、最初は、お付き合いでさせていただけるが、次からは、そうはいかない。


大先生にしてもらうと言われる。


もう、めちゃくちゃ悔しい。


たまらない。


自分の下手さが更に腹立たしい。


取れない痛みは、師匠にとってもらう。


改めて書くが、親父は猛烈に整体がうまい。


痛みをとること、相手が力を抜いて施術を受け入れてくれること、全身からでる優しさ、人の温かさ。


整体をするために生まれたのかと思うほどだ。


親父が施術する通りに痛みが取れていく。


すぐ横で見ていても。同じことをしているようなのに、すべてのパターンの痛みが取れている。


凄すぎる。


はっきりわかったこと。


【整体とはアートである】




次回に続く。



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